~24時間365日×■年、すべての時間を自分のものにしてみた件 vol.2~
vol.2 はじまり…
数年前の冬、春を目前に前職を退職。仕事や引き継ぎを計画通りにこなし、「やり切った感」で清々しい気分で去ることができた。心身ともに健康な状態で新たな目標実現というポジティブな理由もあって退職できた!と当時は大満足。思いっきり解放感を味わっていた。
…と同時に退職に至った理由は会社都合とできるほどのものがある…とも考えていた。
…実はとても疲れきっていて傷ついてもいたのだと数年後にようやく気づくことになる。。。
振り返るとそれはもう試練の連続で、一言でいうと「きれいにホワイトでコーティングされたブラック。いや、グレーにしておこうかな…」位の職場環境。表面的にはやるべきことをしてはいるけれど裏側はなかなかの…残念な職場だった。何百人入れ替わっただろうか…「ここにいたらダメだ。人として終わる…」。罪悪感と危機感しかない日々を送り「ここはもう、潰れて消えてなくなった方が世のため人のためだ」とさえ思うほどになってしまい、まるで自分も悪の組織の一員かのような気持ちで働いていた。そこまで思う人間がここにいるわけにもいかないな、と退職を決めた。…私の「仕事」に対する姿勢、理想とするもの(あるべき姿、サービスの質)のレベルが高かったからそう思えていただけなのかもしれないが…ごく「当たり前」のことが成立しない環境があったように思う。警察が数回入ったこともあるのだから…異常な職場であったことは間違いない…。*あくまで在籍当時の話。現在は運営母体(企業)も変わっている。
決意から数年、退職のタイミングを見計らい着々と(経済的な面も含め)準備をしていた。「このままではいけないよ(やっていることがおかしいよ)」と組織にわかりやすいようにサインを出しつつ組織が変わる可能性があるかどうかを確認してみたりもしていたけれどその可能性はゼロに近いほど低く、繰り返される間違いや事故、不当な扱いに心底嫌気がさしていたし、自身の大事な時間と労力を使って組織改善に尽くす価値はもうこの場所にはないとどこかで見切りをつけていたのだと思う。組織がおかしな方向に舵を切り数年経過しても退職の決意は変わらなかった。そして「今だ!」というタイミングで退職を申し出た。
案の定…希望した時期には辞めさせてもらえず、予定より2か月ほど引き延ばされてしまったけれど仕事のスキルアップはできたし、それなりに感謝している部分もあったので、とりあえず「脱出しただけでも良しとしよう」と自分を納得させた。
退職から数か月…それはもう、すごい解放感だった。肌も艶々、毎日いい気分で心もとても穏やかで軽やか。「あるある」なのでは、と思うが「退職した人が(退職後の雑用等で)久しぶりに職場にやってくると「異常にキラキラしてみえる」現象が自分にも起きているのを感じた。実際に心は輝いていた。
この時から始めた「社会とは日常的に関わらない生活(=孤独生活)」。生まれて初めての「完全一人」生活。人生初の「どこにも何にも所属しない」毎日。「やらなければならないこと」が一切ない日々。本当に「自由」しかない。何の制約もなく好きなことだけして過ごせる毎日。完全ストレスフリーでゆったりとした時間。すべての時間が自分のもの。24時間すべての時間を「自分のためだけ」に使える。これ以上ない幸せな日々でしかない。それでも数か月すると不安感も出てくるようになった。それはとても自然なことなのだけどやはり驚きも感じた。
生まれた瞬間から人は「家族の中の一人」として生き始める。社会に出ると「幼稚園の園児の一人」「小学校の中の●年生の一人」…と必ず人は何かに「所属」して生きることになる。それが突然「無」になる状況、その体験自体が初めてなのだから当然ではある。おそらく高齢になり、会社などの組織からも離れ、社会参加もせずに独居生活をするような暮らし方をして初めて「どこにも何にも所属しない」状態、を経験する人がほとんどなのではないかと思う。勿論生まれた時点で既に親が亡くなり…生涯孤独といった人もいるけれど、それでも施設生活をする中での一員、職場の一員になったりするだろう。
実際にこの生活を始めてみてまず知ったことは『「一人暮らしの高齢者」はこんな感じなのかも』とその何とも表現しにくい不安定さ、だった。割と若い今でさえそう感じるものがあるのだから、高齢での一人暮らし、は悠々自適ではあるけれど、なかなかしんどいものがあるだろうと容易に想像できた。経済的余裕のない高齢者だったとしたら、尚更どうしていったら良いのか…どうにかしたくても体力気力ともに限界があり、途方に暮れ、一人ではどうしようもない状態になるのが現実だろうと思えた。たとえ元気であっても、何かしら「予定」があればそれなりにメリハリのある生活もできるだろうが、どうしても気力、やる気がアップダウンする。日常生活で必要な最低限の活動しかしなかったら、体力も認知機能も確実に低下していく。高齢でなくても。
完全な自由を手にしたにもかかわらず私の場合はある程度メンタルが安定してくるまでに半年位はかかった。老後の先取り体験、と表現するのが適切かどうかは分からないけれど、今話題の?!FIREのような(セミリタイア的)生活を実際に体験してみたようなものでもあるのだけれど…「ごく普通の」人生を歩んできた平凡な人が突然このような「普通ではない」暮らしを実際に開始してみると心の面でも身体の面でもいろいろな変化も起きてくることを知った。
次回はこの数年間での出来事、やってきたことをザックリと振り返ってみる。