~24時間365日×■年すべての時間を自分のものにしてみた件 vol.3~
vol.3 退職から1年目
まずしたことは旅。あるイベントの帰り道を「西日本の旅」にして数日かけて帰宅。ちょっとした旅人暮らし気分。同じ年にまた別の旅もした。
その後、退職理由の一つでもあった「エディブルフラワー(食用花)での仕事づくりの準備」に取り掛かる。どんなものが作れそうか、どんな活用方法があるか(販売やサービスを行う業種としてはどの市場が良さそうか等々)いろんな可能性を書き出し、計画を立てるところから始め、勉強や情報収集のため水耕栽培の工場見学や農業研究センターへの問い合わせ、花農家さんでのインターンシップ等を経験しながら商品の試作づくりに取り組み始めた。その間、スタートアップを支援するアドバイザー(元経営者の方や弁護士さん、社会保険労務士さん)などにお世話になり、食の商談会の見学や異業種交流会などでも経営者、商工会議所の方などの「人との出会い」を楽しんだ。「雇われの身」のままでいたら出会うことはなかった人達、それまでには出会ったことのない感じの(少しタイプの異なった)雰囲気のある人達との交流を通じて多くの良い刺激をもらいながら、入ってくる情報の質や量に変化が起き始めていることを感じた。当時の思考はビジネスモード。
2年目
商品(飲料用のお砂糖)が確定し、Instagramが商品的にもマッチするので(あまり関心はなかった)SNS関連の情報発信の方法について学んだりエディブルフラワーの仕入れをしたりして販売に向けた準備に取り組んだ。食品菌検査やPL保険など、万が一に備えられることはすべて実施した上で販売を実現。反応は上々。商品づくりも楽しかったし、「まとめて買取を」と声をかけてくれた企業などもあったのでそのまま販路開拓をしっかりとしていけば可能性もあるものをつくることはできた。けれど…ここに至るまでに見聞きしたこと、経験したことから「ものを作って売る」という手段では目指す方向とは違う方向に進んでしまうことに気づき、一旦中断することにした。徐々に、ではあるけれど、この「自分で仕事をつくる」過程の中でも既に社会が違って見えてきており、社会から距離をおいたことでこれまでとは全く違った世界の側面に気づくことが増えていった。
それまでの自分の仕事の進め方(ペース)を基準に考えると本当は退職から半年後にはここまでのことを実現させるつもりでいたけれど「何にも所属しない生活」に慣れるのでさえ時間がかかり、思いのほか「自律」というのは難しいものだと体験をもって知ったのだった。。。
また販売にたどり着くまで一年半。予想以上に時間がかかった。一人の力ではこんなものなのだ、当たり前のことなのだけど「組織化するからこそできる」メリット(実行できるスピード、できる範囲の違い等)を実感し「集団に所属」している時は見えていなかったな、と素直に思った。
また退職後から必死というよりは「マイペースに」新しい仕事づくりに取り組んでいたものの「なんとか軌道に乗せるまでは…と走り続けていた(心の中はまったく休めていなかった)」ということにも気づき『方向転換するにあたり半年くらい遊んでみよう』とお休みモードに自ら切り替えた。
…ここから想定外に長くなる「なんちゃってセミリタイア生活」そして思いもよらない「超!迷走生活」に突入するとは知らず…。
この年の後半、半年間位は以前から遊びに行っていたフラワーボランティア(公園に花を植える活動)に時々参加したり、有機野菜を使ったイベントのアシスタント等しながらゆったりと過ごし、色々と振り返りながら進路を考えつつ過ごしていた。私は割と転職もしてきているのだけれど、これまでの「ブラックウォーカー?!」的な職場環境運、ストレスフルな社会人生活、その他精神的にハードなものを色々と乗り越えてきた経験からその経験に何か意味があるとすればメンタルヘルスに関することだろうと考え、ストレスチェック実施者の講座を受講したりもした。おそらくこの頃からだんだんと「ビジネスモード」の思考は薄れていき、物事を見る視点も大きく変化していっていた。本来の自分自身に戻っていくような…(鎧を脱ぐというと大袈裟だけど、世間で生きるための“どうでもいいもの”を少しずつ剥ぎ取っていくような)感じで思考も変化していった。おそらく仕事をしていた時と顔つきも違い「キリっと」はしていない…(もはやキリっとした表情はできなく?)なっていっていたと思う(笑)。
3年目
「働く人の心の健康を守れたら」「働く人(公私ともに忙しく大変な時期を過ごす現役世代の人)を応援すれば少しは社会が良くなるのでは」と想い、その方向性で改めて働いてみようといくつかの会社への応募を検討。組織に完全に戻ることが嫌だったこともあり業務委託契約だったら複業もしやすいし…と応募した会社は働く人のために(時間のゆとりを提供する)先進的な取り組みをする会社だったが創設間もないこともあり、あまりにもアウトソーシングをし過ぎている為に生じた業務連絡ミスが多々みられ、契約するには問題があると判断し留保した。その後メンタルヘルス関係の(企業のストレスチェックをサポートする)会社に応募し内定するも入社前に違和感を感じ、ありのままを弁護士さん等に伝え、問題ないのか確認するとふつうに法令違反をされていることが判明。「…やっぱり、もう雇われるな」ってことなのかな??などと再就職を見送りつつ再び迷走を始める。そんな頃…
4年目
まさかの…人類の危機?!歴史に残るであろう時代を生きることに。新型コロナウイルス・パンデミック発生。全く身動きがとれなくなり迷走が加速。完全一人の暮らし(明るく元気なおこもり生活?!)が数年続いていたこともあり世界の変化や混乱(社会の戸惑い・不安)とは関係なく、個人的には全く精神的な影響を受けずにすんだ、と思っていたけれど、昼夜逆転生活の長期化等それなりによろしくはない生活リズムが当時はできてしまっており、思っていた以上に社会断絶生活は自分自身(精神)を追い込んでいたらしかった。何もしない→食べなくなる=危険;と(当たり前すぎることを)再認識したりもした。
この頃、おとなしくお家で何かの調べものをしていた時に電子ペーパーの魅力(人の目や環境に優しくて用途の幅も広いこと)を知り、何故かIT関係に関わってみようかな…メディアアーティストってなんだか面白そう♪芸術的!と関心をもった。そしてなぜかプログラミングをやってみることに。20日間の講座を受講する機会が得られ、全く初めての世界ではあったけれど拒絶反応もなく受講修了できたのだが、その直後は消化が追い付いておらず理解もできていないし、これを仕事にするって…趣味位なら良いけど無理かな~と勉強も継続せずに放置していた。それから数か月後、またもや突然やる気スイッチが入り自分でWEBサイトを作成。講座の中では教わらなかった「PC上で作った(ホームページ)のデータをどうやってネット上にアップロードしたら良いのか」等も自分で調べて(サーバー契約等して)ちゃんとネット上で見られるように設置し完成できた。どこの誰かもしらないけれどネット上には本当に役に立つ情報や使える知識を無料で提供している人などが大勢いる。直接繋がっていなくてもこうしてどこかで人のお世話になっているなあと思った。ちょっと使い方が違うけど…「やっぱり人は一人では生きられないな…」と感謝した(笑)
そしてホームページ制作をしながら「自分で調べること」を繰り返すうちインターネットがどのようなもので構成されているのか理解を深め、その中で行われているビジネスの存在等も知り(当時の私はまだまだ「自分がどこに向かおうとしているのか全く分からず相変わらず迷走に苦しんでもいたのだけれど自分が知らない間に)じわじわと迷走生活脱出に向かう準備だけは整っていっていた…。
次回は一旦、「迷走」から離れてこの生活をしていく中で得られた「気づき」をいろいろ書いてみる。