~24時間365日×■年、すべての時間を自分のものにしてみた件 vol.5~
vol.5
2.日常生活について
・自由過ぎる状況に慣れるのに時間が必要で「自由過ぎる時間を肯定」できるようになるまで、にも時間がかかる。休日を1日寝て過ごした日のような謎の罪悪感を感じる感覚にも近いかもしれない。人生で与えられた時間は自分のもののはずなのに、「時間」は自分の好きなようにつかっていいはずなのに、本当に自由に(例えば、何もしたくないから何もしない、寝たいから寝る、お腹がすいたから今、食べる…といった動物的な?時間の使い方をすると)「これでいいのか?ダメなのでは?」というように問いかける自分がいたりする。別にいいのに。。。時間は有限、時短で効率よく動く、合理的に…といった常識(社会にある風潮)が染みついている。時には焦りにもつながり、いかに常識にとらわれて生きているか、生きてきたかを実感する。
・時間の使い方が明らかに変わる。忙しい時(時間がない時)の方がなんとかして時間を作りだそうとするので充実感が得やすく有意義な時間になりやすい。時間が取れた時に必ず実行しようとするので実際の活動量・内容は忙しくしている時の方が確実に増える。
・いつでも行ける、できると思うので行動に移すのに時間もかかるし、何かしよう!と思っても、まぁ~取り掛からない(笑)*個人差あり
・自由すぎる=制約が一切ない、と逆にどれを選んだらいいのか迷い、行動しなくなる。
・「律する」ことの難しさ。楽な方へ楽な方へ…という生き物なのだと実感(身をもって知る:笑)。私だから、かもしれないけれど。フリーランス、自営業等で当たり前に規則正しく仕事をしている人達のすごさを知る。
・自由な時間が増えれば3食しっかりとしたものを作って食べたりするようになれるはず…という(退職前の)予想を裏切り?!自分だけのために、だけだとさほど料理はしない。時間の余裕があろうがなかろうが労力はあまり使いたくないタイプのようだ。…できるだけ無駄なことをしたくない(笑)*後から知ったけれどこれってプログラマー等には向く性格らしい。
※ところが「食」の現実を知ってからは基本的に自炊をするようになった。
「食」について、農薬のこと、遺伝子組み換え、食品添加物のことなどを改めて知り、思っていた以上に深刻だと感じショックを受ける。スーパー、コンビニ、デパート等…「身近なところには人間の食べ物が売っていないではないか!」と一時期は「買えるものがない」ように感じられ買い物が苦手になったりもした。
・「安心=高価な無添加の食品を購入しないといけない」状況に問題意識を持つ。そもそも日本の場合、食品の価格設定自体が間違っているのかも、とも思う。普通にコスト計算すると数百円で野菜や魚、肉など本当は買えるわけがない。海外に比べても食費がどれ位安いか…ランチ等営業努力もすごいと思う。…一方で「どういうつもりでこんなものを食品として販売しているんだ?」と思うような商品の多さにも驚く。子ども向けのおやつでさえ、危険なもので溢れている。疑問だらけになる。今まではまったく気づかず。
・ストレスフリーになり、お菓子やパン、お酒等がまったく、といっていいほど必要なくなる。大好きな旅行などにも行きたいとあまり思わなくなる。たぶん気分転換する必要がないくらい自然体で楽に、ゆったりとした毎日を過ごせたから?
・体力とメンタルの低下、外的ストレスに弱くなる、社会性の低下(自信の低下、コミュニケーション力の低下)が出てくる。夏風邪など珍しく風邪をひくようなこともあった。
・軽い鬱からくる過眠のような症状も起きる。やることもなく暇すぎるから、ということもあるかもしれないけれど(笑)
・家事も「いつでもできる」と思っているので仕事をしている時より適当になる。仕事に追われて散らかることもあるけど忙しくなくても「心の状態」がそのまま部屋に出るのは本当だと知る。
・社会生活をしないので(充実感、人との関わり、収入等が激減しているため)ゆったりとした日常にそれなりに満足しているけれど何かが欠けている感覚がある。本当に自由で気ままに好きなように自分のためだけに暮らせているのに完全には満たされていないと感じる。おそらく完全にセミリタイアした人達がコミュニティをつくりたがるのもそのため。
・学ぶ時間が多くとれるのでこれまでに調べたこともなかったことや、日常で気になったことを丁寧に好きなだけ時間をかけて調べる。結果、知識が増え視野が広がる。情報検索力もかなりアップした。実現したいことをネットで検索したらある程度方法もわかり(実際にホームページはほぼ検索しながら制作していったし)本当にインターネットは便利なツールだ。誤字脱字と誤情報だらけの辞書、といった感じなので選び取る力と注意は必要だけど。
・「働かない」生活に慣れる(自分に「自由に過ごす生活を許す」?)のに半年くらいかかったが、8か月9か月…となるとお昼頃起きるような生活も「普通」になり罪悪感のようなものもなくなってくる。一種の開き直り状態?完全に受け入れ始め世間的にいう「ダメ人間」完成間近という状態に。朝型、夜型など遺伝子によっても違うらしいけれど、私の場合は完全な朝型ではないようで数年経っても今まで当たり前にできていた「規則正しい生活」が身につくこと、習慣化することはなかった。社会と繋がっているかどうかの違い、一人暮らしと二人以上暮らしとでは全く別物だと知る。「共に暮らす」人がいるのといないのとでは全く違う生活になる。自分以外の人の存在の有無、他者の影響力…人の意識と行動を変える。
・数年すると「自然」とともに、というと聞こえは良いけれど…気候の変化とともに行動量やモチベーションがアップダウンし始める。春や秋になると活動的になり、雨の日や寒い日なら動かない、天気が悪ければ外出はしないで予定の方を変えてしまう。気の向くままの生活が当たり前になると…本当に動物的行動になっていく。
・数十年ぶりの編み物、チャレンジしたかった陶芸、数年できていなかった読書、余裕を持った年賀状づくり、季節感のある飾りつけ、贈り物など…丁寧で気ままな暮らしを実現。意図的にお休みモードに切り替えた数年は乳幼児並みともいえる位(少なくとも幼稚園児よりも忙しくない)毎日を送っていた。
・不幸ごとやプライベートな出来事で心&頭が疲れ気味な時期は不眠&過眠の不規則傾向が続いた。私の場合は心が疲れると身体に「眠りの不調」がでるのかもしれない。また、喉にも異変が出やすいらしいことなど、これまでには気づかなかった自分自身のメンタル不調系のサインについての気づきもあった。
・1か月、1年間にかかる最低限の支出(生活費)の把握ができた。消費活動(傾向)は人それぞれであり、本人の「生活力の有無」も影響すると思うが「意外と生きていけるもんだな」という感想。そして自分はどれ位の収入があれば暮らしていける人なのか、を客観的に数字で把握できたので将来的なものも含め経済面の心配は少し減ったようにも思う。現状は安定ゼロであってもさほど不安がない。
・「仕事なし」での自由な暮らしは3年も経たずに飽きる。(イタリアにある言葉?=)「何もしない幸せ」の賞味期限(楽しくて幸せでしょうがない!といった感じでいられる)のは数か月から半年くらいまでかな、と思う。年齢を問わず「仕事ではなくても何かしら社会との繋がりはもっておける状況を作っておく」のがbetter。
・メンタル(精神力)が強くないとこの(完全に社会、他者との接触機会を断ち、激減させる)生活はできないだろうな…再就職や将来の不安等に耐えられない人には無理。おそらく精神的な疾患を発症してしまうだろうと思う。